姫路・西はりま 地場産業紹介

鎖

鎖の歴史

紀元前のチェーン、ピレウスの港

チェーンの歴史は古く、紀元前より地中海を囲む多くの港で使用されていました。城壁の延長として築かれた防護壁を持つ港は、その入口に鎖を張って外敵の進入を阻んできました。ローマ時代のギリシャにおいて、アテネの外港として築かれたピレウスの港がその初めとされています。

ヴァイキングのアンカーチェーン

8世紀から12世紀にかけて、スカンジナビア半島に原住してヨーロッパ各地で活躍したヴァイキングは、青銅器・鉄器の長い伝統を持ち、これを発展させてきました。これは、スカンジナビア半島に眠る豊かな鉱脈が容易に採掘出来たことによります。彼らは鉄を鍛え、焼入れする技術も持っていたようです。彼らヴァイキングが、初めて鎖を船舶の係留用に用いました。デンマークのフィン島で発見された錨には、30フィート以上の鎖が付いていました。 15世紀頃から世界は大航海時代に入り、世界貿易の増加とともに、大きな商船が発達し始めました。船舶の大型化とともに、船体の強度を増すために木造船の外側に鉄板を張るようになると、従来の麻のロープではすぐに切れてしまうため、次第にアンカーチェーンが使用されるようになりました

「デ・レ・メタリカ」に描かれたチェーン

1550年、ゲオルグ・アグリコラによって書かれた『デ・レ・メタリカ』は、当時の世界の鉱業・冶金技術の集大成であるとともに、近代技術の夜明けを告げる画期的な技術書とされています。300葉にのぼる版画は精緻で、当時の鉱山・工業の有様をはっきりと描いています。 彼は、序文にこう書いています。『私は、私が見なかったもの、もしくは信ずべき人々から実際に聞かなかったもの全てを叙述から除きました。』 この本の中に、たくさんのチェーンの使用例があります。物を吊る道具・水を汲む道具の一部・物を運ぶ道具として、版画で表現されています。先人の知恵は、今もそのまま生きています。

姫路の鎖産業

燃え続ける鍛冶技術の火

燃え続ける鍛冶技術の火

姫路の地では、大昔、朝鮮半島より渡来した先進技術集団によって、製鉄業・鍛造業・鋳造業が盛んに行われ、根づいていました。名古山遺跡(紀元前1~2世紀)より銅鐸の鋳型や鉄片が出土していることが、これを物語っています。
これらの先進技術は、釘鍛冶や野鍛冶(農具の修理を主とする鍛冶屋)として発展し、この地に鍛冶技術の火を燃やし続けてきました。

姫路における鎖づくりの始まり

江戸時代中期より、当地では松原釘と呼ばれる釘の火造鍛造技術が発達しており、これが鎖製造の基礎となりました。
大正時代の初め、大阪で製鎖業を営んでいた姫路(白浜町)出身の瀬川長蔵氏が、第一次世界大戦による鎖の需要増大に対し、地元である姫路の鍛冶技術を活用するため、市内の木場に工場を建設しました。これが、当地における鎖製造の始まりです。
瀬川氏のもとには地元の若い職人達が多く集まり、そこで技術を習得していきましたが、やがて木場工場が閉鎖されることとなりました。そのため、職人達は独立し、白浜地区において自ら製鎖業を営むようになりました。 第二次世界大戦中に電気溶接機(アプセットバット)が開発されたことで、細物の量産が可能となり、また、昭和30年代には外国製の大型溶接機(フラッシュバット)が導入され、順次国内産の溶接機も普及したことで、太物の生産・量産化も可能となりました。
このようにして、姫路市において鎖製造業が地場産業として発展し、現在でも白浜町を中心に多くの事業者が集積しており、その生産量は全国的にも高いシェアを誇っています。 また、当地の鎖製品には、線径が数センチのものから飾りチェーン等の細かいものまであり、材質もアルミ素材を使用するなど、多様化が進んでいます。

鎖の種類について

鎖の種類いろいろ

一口に「鎖」といっても、様々な種類があります。
一般的には、形状によって次のように区別されています。

リンクチェーン スタッドリンクチェーン スタッドリンクチェーン
ショートリンクチェーン ショートリンクチェーン
ロングリンクチェーン ロングリンクチェーン
ローラーチェーン ローラーチェーン ローラーチェーン
鋳物チェーン   各種鋳物チェーン
装飾用チェーン ビクターチェーン ビクターチェーン
シングルジャックチェーン シングルジャックチェーン
三つ組チェーン 三つ組チェーン
二重チェーン 二重チェーン
ライトチェーン ライトチェーン
マンテルチェーン マンテルチェーン
打ち抜きチェーン 打ち抜きチェーン
ブルジャックチェーン ブルジャックチェーン
ボールチェーン ボールチェーン

鎖の大きさいろいろ

断面でみる大きさの違い

鎖の用途は様々ですので、その大きさやカタチも多種多様です。
鎖の素材の断面を比較してみると、大きさの違いがよくわかります。

断面でみる大きさの違い

最大の鎖・最小の鎖

アンカーチェーンとは、船舶の碇(イカリ)に使われる鎖のことです。
国内最大のアンカーチェーンは、直径が150mmもあります。
その一方で、装飾用に使われる鎖には、直径0.8mmといった小さなものがあります。

断面でみる大きさの違い

鎖の用途について

リンクチェーンのサイズと用途

リンクチェーンのサイズと用途

リンクチェーンの特性と用途

用途 特性 主な形状
強さ 重さ 硬さ 自由さ 美しさ 手軽さ 収納性 耐熱性
船舶の係留用 アンカーチェーン ST
ブイ係留用チェーン ST・SH
運搬用・炉内用 コンベヤチェーン
荷役用具 チェーンブロック     SH
荷役用具・炉蓋吊 吊具用チェーン
漁具 トーイングチェーン
漁業用おもりチェーン ST・SH
材木輸送用 ラッシングチェーン SH
建設現場用 足場吊用チェーン LG
自動車用 タイヤチェーン その他
エクステリア用具 手すり用チェーン LG
遊具 ぶらんこチェーン
建築用 シャンデリアチェーン
装飾用 ネックレス その他
ブレスレット
武具 鎖かたびら
ST:スタッドリンクチェーン SH:ショートリンクチェーン LG:ロングリンクチェーン

アンカーチェーンの製造法

溶接方法

アンカーチェーンの製造方法は、フラッシュバット溶接のC法(図の電気溶接C法)が主流で、国内の一般商船に用いられているものは100%この方法です。その他の方法としてはA法(図の電気溶接タイコ方式)があり、艦艇やブイ係留用の一部に使用されています。 現在、鋳鋼性のアンカーチェーンは、国内では生産されていません。海外でわずかに部品として生産されています。 歴史的に見ると、下図のように鍛接・電気溶接以外のものもあります。1808年以来、各社がその効率的な製法を研究してきた過程です。わが国では、1962年頃からC法が主流を占めるようになりました。

溶接方法

製造工程

1切断
チェーン丸棒を所定の長さに切断する
2加熱
材料を650~750℃に加熱する
3曲げ
1工程でJ型に、2工程でC型に曲げる
4溶接
フラッシュバット溶接でつなげる
5バリ取り
溶接部の突出した部分を削る
6整形
鍛造品のスタッドを圧着し、整形する(スタッドは、圧着と焼きばめ効果でリングに固定される

フラッシュバット溶接

フラッシュバット溶接とは?

通電している2本の電線を接触させると、『バチ・バチ』という音と共に火花が飛びます。この時に発生する熱を利用して金属を溶かし溶接する方法を、フラッシュバット溶接と言います。 変圧器で電極に流れる電気は、12ボルト、1,000アンペアー程度。小電圧・大電流が、瞬時に接触部分を溶かします。接触・離脱を繰り返し、溶接面が均一に溶解した時、大きな圧力(12kg/mm²)で加圧して圧接します

フラッシュバット溶接とは?

フラッシュバット溶接の特徴

特  徴 利用分野
1. 接合強度が強く、信頼性が高い 1. アンカーチェーンの溶接(船舶係留用)
2. 加熱範囲が狭く、熱影響部が少ない 2. ステンレス系船環の溶接
3. 消耗品が少なく、比較的低コスト 3. 自動車用タイヤホイル・リム・ステアリングシャフト等の溶接
4. 溶接速度が速く、極めて高能率 4. 鉄道用レールの溶接
5. 自動化しやすく、大量生産向き  
6. 大きな欠点は、溶接設備が非常に高価  

接法の体系

溶融 ガス溶接
アーク溶接 直流溶接
交流溶接テルミット溶接
圧接 熱間圧接 抵抗溶接 スポット溶接
アップセット溶接
プロジェクション溶接
フラッシュバット溶接
その他
溶融圧接 鍛接
ガス圧接
スタッド溶接
その他
常温圧接 周相溶接 冷間圧接
ロール圧接
爆発溶接
その他
ろう接 う付(硬ろう付) 金ろう
銀ろう
その他
ブレーズ溶接 ステライト溶接
トービンブロンズ溶接
その他
はんだ付(軟ろう付)

フラッシュバット溶接は、導入時に高価な設備導入コストがかかりますが、大ロットを自動制御で生産できるため、安定した品質での大量生産が可能です。
アーク溶接の場合、初期の設備投資は安価ですが、ランニングコストが高価で、大量生産には向きません。商品の品質にもばらつきがでます。
このため、鎖の製造には、フラッシュバット溶接が採用されています。

  フラッシュバット溶接 アーク溶接
設備の規模 大掛かりな設備が必要 簡便な設備でもOK
設備コスト 高価(数千万円単位) 安価(数十万円程度)
生産ロット 大ロット向き 中・小ロット向き
制御方法 自動 手動・半自動・自動
加工方法 熱間加工・冷間加工 冷間加工
ランニングコスト 安価 高価
溶接の信頼性 信頼性が高い バラつき有り
品質の均一性 安定した品質 ラつき有り

開陽丸の鎖

開陽丸物語

開陽丸は、今から約130年前にオランダで進水しました。15名の留学生を送り込み、この船の建造依頼をした徳川幕府は、海軍の増強になみなみならぬ意欲を示していたのです。日本に到着したのは、発注後4年程たった慶応3年(1867年)でした。 その翌年、蝦夷共和国の建国を目指す幕府海軍副総裁・榎本武揚らを乗せて、蝦夷地に向けて江戸湾を脱出しました。明治元年となったこの年、新政府軍と旧幕府軍が衝突、戊辰戦争が勃発しました。 榎本武揚が率いる旧幕府軍は、函館五稜郭を占領後、松前藩最後の防衛線である江差の攻撃をもくろみ、開陽丸で江差沖へと進みましたが、明治元年11月15日、暴風雨のために座礁・沈没してしまいました。進水後、わずか3年のことでした。 開陽丸を失った榎本軍は、明治2年、函館で新政府軍に抗戦するも、むなしく降伏。明治を誕生させた戊辰戦争がここに終結しました。
(財団法人開陽丸青少年センターパンフレットより)

引き上げられた鎖

開陽丸

開陽丸のアンカーチェーンは、錨綱(いかりづな)から鉄製の鎖に変わる変革期の中間に位置するもので、現在のものと少し異なっています。環材の直径は44.5mm、連結部を含む約24mと7mのチェーンは、1,300kgほどの重量です。 このアンカーチェーンは、1865年、オランダのライデン市にある、ロイヤル・オランダ大鍛冶組合で製造されたものです。スタッドにある刻印、および開陽丸が1865年にオランダのドルトレヒトのヒップス・エン・ゾーネン造船所で進水したことなどから判明しました。その製造方法は手作り螺旋状鍛造です。

お問い合わせ窓口

連絡先団体名:近畿製鎖協同組合
所在地:〒672-8023 兵庫県姫路市白浜町甲402
TEL:079-245-1471 FAX:079-245-1896