「揖保乃糸」ブランド確立への道
「揖保乃糸」は兵庫県手延素麺協同組合の商標で、組合の規約に従い伝統製法でつくられている製品はすべて組合所属の検査指導員によって検査され、これに合格したものだけが組合の素麺専用倉庫に入庫され、消費シーズンに出荷。全国100社の特約店を通じて消費者のもとに届けられている。
今や全国シェアの40%を誇り、三輪(奈良県)、小豆島(香川県)とともに日本三大産地の1つに数えられているが、市場がこれほどまでに拡大し、ブランドの浸透が図れた背景には、連綿と続けられてきた産地としての努力、製造業者や組合の真摯な姿勢があったことも見逃せない。
まずは「品質管理の徹底」である。素麺をつくる農家が増えて生産量が伸びるにつれ、粗製乱造で産地の信用を落とすものが現れるようになったので、慶応元年(1865)には龍野藩・新宮藩(現たつの市)・林田藩(現姫路市)内の素麺屋仲間が集まり、品質などについて取り決めを交わしている。違反した場合は違約金を払うなど厳しい内容で、早くから品質管理の徹底が図られていたことがわかる。
また、明治維新によって龍野藩の保護が受けられなくなったので、明治5年(1872)に揖東西両郡の素麺製造業者が集まり「明神講」を設立して粗悪品の追放と品質保持を申し合わせ、同7年には「開益社」を設立して組織の強化に取り組んだ。さらに同20年(1887)には現組合の前身である「播磨国揖東西両郡素麺営業組合」を設立。播州手延素麺への信頼を揺るぎないものにしていくための一歩を踏み出した。
2つ目は「技術開発への取り組み」である。明治42年(1909)には現本部事務所所在地に組合模範工場を建設。原料・製品の分析、職工の養成や技術指導、各種機械の使用法の研究などに取り組んだ。
また、明治32年に建立した素麺神社(現たつの市神岡町)の春の例祭では、組合員や職工らが参加して素麺の掛け巻競技などが行われ、互いに切磋琢磨することで技術の向上を図った。そのほか品評会を盛んに開き、品質向上へしのぎを削りあい、結果的に製品への評価を高め、産地の一体化を実現することができた。
3つ目は「いち早い販売体制の強化」であろう。明治39年(1906)には販路の拡大を図るために朝鮮、北海道、東北を視察するとともに、特許局への「三神乃糸」「揖保乃糸」などの商標登録も行っている。
さらに大正12年(1923)には他産地に先駆け全国の販売業者を対象に「揖保乃糸全国販売連盟会」を設立。これが販路拡大の原動力となり、現在でも全国100社の特約店を通じて消費者の手元に届ける販売システムを擁している。
最後が「宣伝の巧みさ」である。大正8年(1919)頃から全国にキャラバン隊を派遣して販路の拡大を図り、その後も飛行機を使った宣伝ビラの大量投下など活発なPR作戦を展開し、商品イメージを高めることに成功した。
近年も、平成4年(1992)からCMに人気女優の田中好子を起用。彼女が逝去する平成23年まで、その温かい飾らぬ人柄がにじみ出たテレビCMが茶の間の人気を呼んだことも記憶に新しい。
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